2012年04月20日
ch北国テレビの想い出・その2

さて、そんなわけで、ch北国テレビでブログを書き始めたワタクシひよこ。
実は、最初からひよこ日記を書いていたわけではなかったんである。
(それから、わざわざ「ひよこ日記」と書いてるのは
当時は、日記形式で書いていて、というか本当に絵日記で
今みたいに名古屋ネタや北海道ネタも、4コマ漫画も書いてなかったのだ。)
じゃあ何を書いてたかというと・・・
自分の描いた花の絵や、絵付けした食器、庭で育てた花の写真なんかを載せて
悦に入っていたのだ。
芸術家気取りで、優雅な私の素敵な生活(はぁと)を延々とつづっていた。
当時の私は、簡単に言うと、自分の生活を、誰かに肯定して欲しかったんだと思う。
いろんなことを一生懸命頑張っていたけれど、何となく虚しくて、心の中が
ぽっかり穴が開いたように空虚で。
今にして思えば、素敵、と言ってくれる人もいたけれど、それと同じくらい
私のブログを嫌いな人もいただろうし、そもそも、素人(当時)の描いた絵なんかに
みんなそんなに興味なんか無いんだよね。表面上はほめてくれたとしても。
自分でもそんなことを、ちくりちくりと、心の奥で感じていたんだろう。
それに、実際優雅な私でもなんでもなかったから、無理が来たんだと思う。
なんかもっと、自分らしいものを書きたいと思うようになったんだよね。
それに、いろんな意味で、当時の生活は、私にとって限界だったのだと思う。
毎日の中に、楽しいことを見つけるのが、本当に難しくて、しんどくて
「一日ひとつ、楽しいことを見つけて、絵日記にしよう」
と思って描き始めたのが、ひよこ日記だった。
とはいっても、いきなりブログに書き始めたわけではない。
当時、私は34歳だったのだけど、ある意味、今より分別があったので
30代にもなって、自分をひよこにした漫画なんて、痛すぎるので
大々的に公開するなんて、とんでもないと思っていたのだった。
(43歳現在もひよこだがね描いてる事実を当時の自分が知ったら卒倒するに違いない・・・)
2003年ごろは、お絵かきBBSと言うのがはやっていて、それを自分のHPの
隠しページとしてリンクして、そこで描いていたのだった。
それを見つけてくれたのが、北国で知り合ったみほさん。
そのみほさんに、おもしろい!ブログに連載するべきだ、と説得され
その気になって描き始めたのが、記念すべき「ひよこ日記」のスタートなのだった。
みほさんには、いくら感謝してもしたりない、いつもそう思う。

この泣いてるひよこって、何か萌える。
アメブロの王冠かぶったぴぴちゃんは、かわいいけど(笑 自分で言うな(笑))
なんかふてぶてしさもあるのだが、このひよこちゃんは、何かけなげ・・・
なんかいじらしいよね、とダーリン。(→バラしょったウコッケイである)
当時は、私が上記のような心境でこの漫画を書いてたなんて、たぶん
誰も知らなかったからね。
そんなことを知ると、けなげに見えてくるでしょ?(だから自分で言うなって)

ま、そんなわけで、優雅な仮面をかなぐり捨てて
天才ぴぴ画伯はデビューを果たしたのだった。
ただ、思うのは・・・
この「ひよこ日記」を描き始めて以来、私のブログは、そんなものすごく
爆発的な人気ブログにはならなかったけれど
この8年半を通じて、そこそこ、ファンと呼べる人がつく、人気ブログにはなった。
大好きです。読むと元気が出ます。
全く知らない人から、そんなメールをもらうことは、割と初期の頃からあった。
だけど、優雅な毎日とこのけなげなひよこを両立して描いてた頃も
バラをしょった年下ダーリンとののろけを描いてる今も
ファンだと言ってくれる人の数と同じくらい、いやもっと多くの嫌いだと言う人もいるんだと思う。
人からの肯定だけを望んでいた頃は、アンチの存在がつらくて、許せなかったけれど
今は、嫌いな人がいるのも当然と思って書いているので気にならない。
いつも泣いてばかりいる、ひょろひょろの3本毛のひよこ。
私のch北国テレビのイメージは、いつもそのひよこと一緒にある。
うわ―気づいたら長くなっちゃった!ココまで読んでくれてありがとう!
さて、次は、北国時代の仲間との交流について描きます。
(つづく)